サポートデザイナー mu’s blog

美容系の仕事について35年以上。美容の源は健康と気づき、食とほほえみについて綴ります。

<被災地とそれを取り巻く人々>長く続く縁とは?

先日、NPOの活動として、三陸のちいさな町大槌に行ってきた。

 

東日本大震災の被災地に向かったのは、会社員時代に行った

気仙沼以来の2度目。

 

今考えても、あの3.11は、誰にとっても衝撃だったと思う。

 

あの日は、いつものように会社のデスクでのんびりとしていた。

何度も揺れる中、頭によぎったのは、

「このすごい揺れを考えると今回は関東が壊滅的なのだろう。

きっと、近いうちに実家近く(岩手)に避難することになるのではないか」

ということで、情報が入るまで実家に引っ越すシミュレーションをしていたくらいだった。

しかし、実際には東北が被災地だった。

 

東北は、自分が育ったところ。

例えば小学校の遠足は平泉。夏の学習旅行は釜石の海岸だった。修学旅行は、仙台の動物園という東北ザンマイ。

関東ならば、湘南江之島が釜石。日光東照宮が平泉中尊寺上野動物園が仙台八木山動物園のようなこと。

 

だから、東北という地は拠り所であり、心の隅にそっとある安らぎの地。

そのため、東日本大震災での津波の被災地には特別な思いが常にあった。

 

しかし、なにも行動が出来ずに7年が経過。

 

すると、9月になって、NPOで定期的に活動を行っている友人から

「一緒にボランティアをやらないか」とラインが来た。

間髪入れずに、「ぜひ」と返信。

 

それからは、まるで水を得た魚のように

活動準備を開始。

 

そして、いよいよその日が来た。

 

あれ?この気負いは、私だけ?え?

一緒に同行のメンバー数人は、もう何度も出向き

何度も心を動かし、体を奮い立たせ、、、、

様々な経験をして来た人々だった。

 

どこまで津波が押し寄せたのか?

もう誰もそのことを語らない。

あの時にどんなことが大変だったのか?

今の大変さの方が切実。

 

「私は東京からやって来ましたOOです。しかし出身は岩手なんです!!」

 

この挨拶は、きっと会場が沸き上がるのではないか?と

密かに期待していたが、、、

それは私だけの思い込み。

 

そう、すでに多くの人々が、全国や海外からその地を

訪れ、何度も出会いがあったり、地縁、血縁などの

縁がつながって来たことだろう。

私だけが1人空回りしていたことに気づいた。

 

既に多くの人が被災地を訪れ、様々な出会いやら、繋がりが沢山生まれていた。

 

その流れが一周して、、、7年が経過した今は

被災地という響きとは違う「私たちの街」を求めているような気がした。

 

もう、きっと被災地ということばも、良い意味で変換されているのだろうか。

 

そして、大槌のイベントに来てくれた方々と会話をすると

「最近はあまりボランティアが来なくなった」とのこと。

以前よりも、継続して来てくれる団体は激減しているという。

 

確かに、交通費も宿泊費も大きくかかる場所に

どう資金をやりくりして向かったら良いのか?

そして、与えるだけのイベントではもう限界。

長く続く縁を繋ぐには、どうすれば良いのか。

考えても、謎のまま。。。

 

話はそれるが、一番の驚きは

外食のレベルが高い!!ということ。

メニューも味も、人気観光地以上。

コスパもOKなのだ。

 

きっと、多くの人々が利用することにより

研ぎ澄まされていったのだろう。

これはとても勉強になった。

 

今回なにも結論はでないが、たくさんの気づきを

もらって来た。

 

そうそう、やはり東北の人は、色が白い。

あの白さは、純粋さと比例する気がした。

 

染まらない・・・白さ。

 

それか?純粋さを守るための、長く縁をつなげるには

こちらも純粋でなければいけない。

 

どうしたら、それが可能か?

 

つづく