<交通事故の後遺症 30年> 忘れる方法
ちょっと暗いタイトルですが、内容は明るいのでお気をつけください。
30年前、池袋のとある陸橋で、交通事故にあいました。
脇から来た車に右足をひかれ、
右足首と、足の甲などを複雑骨折。
当時は全治6か月と診断され、サンシャイン近くの
小さな病院に1か月半入院。
膝上からギブスをつけて、松葉つえの生活をしました。
当時23才。
入院、退院、リハビリを終えたのは、確かに6か月後。
そして、なぜかすぐに、示談になり、慰謝料は
当時の金額で100万円。(医療費以外、交通費や雑費など全てのものを含む)
何も、わからず、印鑑を押して。。。
後遺症は後にならないとわからないのだが、保険会社は早く示談をしたがった。
私も、その面倒なやりとりに、早く全てを終わりにしたかった。
私は、若さゆえ、「まあ、大丈夫」と思ってさらっと、退院。
その時の足の状況は
・足首あたりに麻痺の部分があり、感覚がない・にぶい箇所がある
・足の甲に傷跡が数か所ある
退院時、整形外科の名医(K大学教授)に言われたのは、
上記に関しては、時間の経過と共に治ることもあれば、治らないこともある。
しかし、その答えは今の医学の状況ではなんとも言えない。
個人差もあるし、その後の生活環境にも関係する。
と、言われた。今思えば、その医師は確かに名医だった思う。
なぜかというと、その後、病室のベットに佇む、私の目をみて、
ゆっくり、丁寧に言われた以下のことが理由だ。
どんな状況でも今後、<一生に渡り>気をつけることがある。
それは3つのこと。
「靴に気をつける→ヒールははかない。サイズに合ったものをはく」
「太ってはいけない→足に負担がかかる」
「なんでも良いから、運動を継続して行う」
30年経過しても、あの医師の眼差しは決して忘れない。
あの情景が今でも、しっかりと目に焼き付いている。
(その3つですが、太る以外は全て守ってきた 笑)
その後、名医のアドバイスをなんとか守って30年、、、無事に私の右足は頑張っている。
あれから、出産も育児も仕事も、なんでも普通(いやそれ以上)に
こなして来た。
運動と靴に関して思うのは、
毎日スニーカーだけで生活し、近所をただ走るという生活は出来ない。
会社員としてパンプスを履いたり、一日中立ち仕事もあった。
その時はセミオーダーの靴を履き、ジムに通い、ヨガに行き、、、
と、それなりの経済力が必要だった。
しかし、これは足が悪くなくても同じだったとは思う。
そうそう、後遺症。。。
実はまだ(なのか もう なのか)、麻痺は残っている。
これから治るのは、ありえないことだと思う。
もちろん、今、わたしの右足が交通事故の後遺症にあることを
家族すら気づいていない。友人らからも誰もその指摘はない。
つまり、日常生活には全く問題のない生活を行っている。
おもしろいことに、整体やマッサージに行くと
数歩歩いただけで、「右足はどうしました?」と聞いてくる
整体師さんがいるという事。
または、足裏マッサージに行くと、足を触ったとたんに聞いてくる
マッサージ師さんがいること。
プロには、わかるらしい。
この指摘がない、整体師さん、マッサージの方はプロではないと
簡単に選別する材料に私の右足はなっている。
最後に本題に。。。
後遺症をなかったことにすることは出来ない。
<一生守って欲しい>と名医に言われた時
一生???と困惑したが、その意味が今では良くわかる。
後遺症を忘れるには、他のことに目を向けることだと思う。
やれないことを出来ない(たとえば私はハイヒールをはく)と
騒ぐよりも、出来ることを楽しむことだと思う。
時々、うずく、、、こわばる、、、
そして、事故現場には決していけない。
(28年経過してやっと行ったが)
車が近づくだけで、フラッシュバックされる。
電車で足を踏まれそうになるのがとにかく怖い。
などのメンタル面での問題もあるが、
「あのようなことは、もうないはず。」
と、開き直るしかない。
そして、普通の人以上に、私は遠くに行くことを自分に課している。
ちゃんと歩ける今のうちに、、、どこでも行こうと。
旅行も出張も、遠く遠く、、、どこでも行く。
それが、一番の 忘れる方法だと信じている。
ここまで長文を読んでいただき感謝。
後遺症で悩んでいるかたの参考に少しでもなればと思います。